80歳を超える私の身内が倒れ救急車で運ばれた。生死に至ることはなかったが、隣の病室では親族が集まり「死」を受け入れていた。救急車呼ぶということは、あらゆる手段を使って救命のスイッチを押すということで、心臓マッサージや電気ショックなどさまざまな救命処置を試み、なかにはあばら骨が折れ、口からはたくさんの管をいれ苦しそうな顔つきで死亡する方もいる。はたして、本人はこのような最期を望んでいたのだろうか?特に看取り期の高齢者の場合、治療を尽くして命をとりとめても、また危機が訪れることは予測できる。本人の意向を尊重できるよう家族で話す機会を設けてください。